左利きの苦悩、の巻

あまりTwitterなどインターネットでは公言していなかったが、実は私は、左利きである。

人口の約1割ほどしか存在しないと言われる、左利き。

学校では1クラスにつき1人はいただろう。

レアな存在ではあるものの、特にアイデンティティになるような代物ではなく、自慢できるものではないので、特にわざわざ公言することはしてこなかった。

しかし、左利きも歴としたマイノリティである。

であるからして、マイノリティなりの苦労も当然ある。

たとえば。

学校や職場に置いてある備品の事務用品は、ほとんど右利き用である。

最近は左利き用も用意してくれる優しいところもあるが、ほとんどの場合右利き用しかない。

しかし、我々左利きもそんなことで今更不便だ不便だと嘆くほどヤワじゃない。

幼いころからそのような過酷な状況に置かれているため、ほとんどの左利きは右利き用のハサミを使うことができる。(と、思う)

だが、ビュッフェやスープバーなどに置いてある、レードル。

アレだけは許さん。

めちゃくちゃ、溢れるんじゃ。

スープが。

注ぎにくいったらありゃしない。

あと、横書きの筆記の場合、我々の左手の側面は、たいてい無惨なことになる。

書きやすいのは、国語のノートくらいだ。

左利きだと、何かと不便だ。

バイトでお札の数え方を教えてもらう時、「あっ、左利きか…」と気まずそうに言った先輩の顔を、今でも忘れない。

高校の柔道の授業で、たまたま同じ授業にいた別の左利きと一緒に組まされたことも。

ちなみに余談だが、その時一緒に組んだ左利きの子とはとっくに高校を卒業した今もまだ一緒に遊ぶ仲だ。

しかし、そのような不便さなど屁でもないほど、我々にとって困ることがある。

それは、「天才肌」「個性的」などと言われることだ。

先述のように、我々左利きは幼い頃から強制的に右利き用の道具を使わされているため、手先は器用であることが多い。

それ故、なんとなく頭もいいように見えるのかもしれない。

令和の今でも、「左利きは右脳派だから芸術的だ、クリエイティブだ」などという迷信を信じている人もいる。

端的に言って、そんなわけがない。

そもそも、左脳右脳の能力の違いなど科学的な根拠はない。

全くの嘘っぱちだと、私は思っている。

「左利きには、変わった人が多い」

そういう俗説もあるが、これは単に左利きのそもそもの母数が少ない故のバイアスなのではないかと思う。

母数が少ないから、1人変わった人がいるだけでそういう印象になってしまう。

利き手で性格が変わるなんて有り得ないし、左利きにも様々な性格の人がいる。

社交的な人もいれば控えめな人もおり、アウトドア派もいればインドア派もいる。

それは当たり前のことだろう。

利き手なんて、単にどっちの手を使って生活しているかの違いだけなのだから。

人間はほぼほぼ右利きだが、左利きが少ない理由についてはまだ解明されていないらしい。

あと、いつどのように利き手が決定するのかについても、まだハッキリとはわかっていない。

これに関しては、普通に興味があるので研究が進んでほしいと思う。

これを読んでいる皆さんの中には、左利きに憧れたことがある人はいるだろうか。

左手で箸を使う練習をしたことがある人もいるかもしれない。

左利きは、一番身近なマイノリティだ。

マイノリティ故、「みんなと違う」という部分で、かっこよく感じる人もいるだろう。

しかし、一度考え直してみてほしい。

これは、性的マイノリティや障害者など、様々なマイノリティ問題に通じると思うのだが、数が少ない、みんなとは違う、ということは、それだけ理解されにくいということだ。

左利きにも、先述の通り様々な障壁がある。

それは、単に「かっこいい」だけでは済まされないものがある。

というかそもそも、我々にとって左手を使って生活することは寝て食べることと同じくらい当たり前のことなので、かっこいいとかいう自認もない。

我々にとっては、当たり前の日常なのだ。

君たち右利きは、ドアノブが大体右側についていることや、駅の改札の切符口やICカードのタッチ部分が右側についていること、はさみを当たり前のように使えること、などに一生気付かないまま、そのマジョリティ特権に気付かないままでいなさい。

無理して左利きなんかにならなくていい。

単純に不便だし。

もしあなたが、本気で左利きになりたいというのなら、別に止めはしないが、本当に本気なら、その矯正の最中で、私が散々言った障壁に気付くことだろう。

それが、マイノリティということだ。

みんなちがって、みんないい。

そんなふうに生きられたらいいけれども、残念ながら社会はまだまだそのようになっていない。

差別や偏見は、根強くこの社会に残っている。

それらは、人類がこの地球上に存在する以上、永遠の課題なのかもしれない。

様々なマイノリティに理解を、と促進しても、なかなか進まない現状がある。

一筋縄ではいかない問題だが、まずは身近な人々のことを少し考えてみるだけで、違ってくるのではないかと思う。

自分の周りから、変えていこう。

そして、左利きにも、優しい社会を。

私は、切に願う。