創作と承認欲求

応募したいと思っている小説の新人賞の締切が、あと半年を切った。

あと原稿用紙30枚分ほど書かなければならないので、最近は結構頑張って書き進めている。

でも、正直、ここまで来て心が折れそうな自分がいる。

TwitterSNSを見れば、絵や音楽、文章、色々な分野で自分の才能を遺憾なく発揮している人がたくさんいる。

そんな中で、自分は戦っていけるのだろうか。

そんな不安が過ぎる。

インターネット、特にSNSというプラットフォームでは、イラストや漫画が伸びやすい。

ただでさえ読むのに時間がかかる小説や文章で、わざわざ時間を割いて私の文章を読んでくれる人などごく少数だ。

わざわざ私の文章を読んでくれる方々には有難いと思いつつ、やっぱり需要がないのかなぁと自信がなくなる。

誰にも読んでもらえないなら、やめてしまおうかなと思う。

SNSや周りの反応だけが全てじゃない。

そうわかっていても、知らず知らずのうちに反応を求めてしまう自分がいる。

その度に、結局自分は承認欲求で書いてるのか、と落胆する。

何よりも書くことが好きだから書いているんじゃないのか。

結局褒められたいだけなのか。

褒められない、認められないのが辛いんじゃなくて、褒められたい、認められたいと思っている自分が在ることが、なんかしんどい。

才能がある人が世に出やすくなったのは良い時代だが、それと同時に周りの才能が可視化されやすくなり、承認欲求と結びついてしまったのは現代の辛いところだ。

新人賞に応募する作品は、決して発表することは許されない。

だからといって、その作品と並行してなにかみんなに読んでもらえるような短編などを書く器用さは私にはない。

作品を世に出してないから反応がないのは無論当たり前のことだが、ひとつの作品を創り上げるというのはこんなに孤独な戦いだったのかと打ちひしがれる毎日。

自分の中の承認欲求に気づくたびに落ち込むが、それと同時に、何かを創り上げる以上は、褒められたい、認められたいという感情と切っては切り離せないなと感じてもいる。

もちろん自分が好きだから書いたり描いたりしてるんであるが、自分のファンが1人もいないという状況は創作者にとってはキツイと思う。

「好きなことを続けること それは楽しいだけじゃない」

YOASOBIの「群青」という曲の歌詞の引用だが、最近本当に身に染みている。

フォロワー数やいいね数だけが全てじゃない。わかってはいるけども、やっぱり反応は欲しい。

今は、忍耐の時期だと思って、一つの作品を書き上げることを目標に、ただそれだけを目指す。

好きなものと向き合うことって、怖いこと。

それは、自分の才能だったり、努力と向き合うことだから。

でも、走り続ければ、きっと何か見える世界があるはず。

そう願って。

「大丈夫 行こう あとは楽しむだけだ」

そう思える日が、来るといいな。