「いい子」の仮面を外す時

私は、所謂「いい子」だった。

すぐに怒鳴るし物に当たる母親、それに何も言わない父親の元で育った。

小学生までは、それがおかしいとは思わなかった。他の家庭を知らないから。学校では教えてもらえないから。

中学では、学校に友達がいなくていつも一人で、でも親には相談できなかった。成績が良かったから家での扱いは良かった。だから特に問題は起こらなかった。

英語がやりたくて公立のそこそこの偏差値の高校に進んだが、英語の勉強は思うように進まなかった。

そして、高2のある時、私の心は折れてしまった。

私は心をグラスに例えるのが好きなのだが、それで言うならばグラスが完全に割れてしまった。

親はそんな自分をメンタルクリニックに連れて行ってくれた。学校を半年休ませてくれた。

そうしてなんとか心のグラスを引っ付けて少しいびつではあるが元の形に少しずつ戻ってきた。

心の形が戻るにつれて、家以外の世界が出来てきた。

インターネットを通して色々な人と話したりするようになり、お付き合いをするような人も出来た。

私はかなり成長するまで家しか世界がなかった。家族の仲が良いと思っていたし、実際家族以上に付き合いがある人なんていなかった。

反面、その家族の絆は脆く壊れやすいものでもあった。私に限らず誰かの我慢という薄氷の上で成り立っているものだった。

そして、今その薄氷は崩れようとしている。表面上は、まだ家族の形を保っているように見えるかもしれない。でも、私はもう限界だ。

親は100%悪者ではないし、私にも悪いところはある。もう仕方がなかったのだと思うしかない。そもそも、血縁関係があるというだけの他人同士を引っ付けておくのが土台無理な話ではないのか、なんて考える。

とにかく、私はもう「いい子」ではない。私も間違ってしまったかもしれないし、やっぱり親の言う通りにすればよかった、と今後思うかもしれない。しかし、これ以上「いい子」でいるのは無理なのだ。それは紛れもない事実である。むしろ、19年も「いい子」を続けられたことがすごいと自分で思う。

経験不足だしまだ若いからモノを知らない、向こう見ずだ、恩知らずと思う人もいるかもしれない。でもこれは私の人生だし、これからは自分自身で決めていかなければならない。

私の心のグラスはヒビだらけだ。なんとかまた割れないように、私は私のグラスを守っていかなければならない。そして、またグラスに水を注げるように。いや、水じゃなくてもいい。コーラでも、オレンジジュースでも、ワインでも、なんでも好きな物を注いで。

私は私の世界を大切にする。この先どうなるかは全くわからないけれど、大切な物は手放さずにいたい。

今まで私の世界は家だった、でもそれが時と共に切り替わった。ただそれだけなのだ。

なかなか道のりは遠そうだが、自分の世界を守っていきたいと今は思う。