好きな食べ物ランキング

誰にも需要がないと思いますが、好きな食べ物をランキング形式でまとめてみようと思います。しばしお付き合いください。

 

まずは1位!

サーモンの刺身。

これはもう間違いない。文句なしの1位。サーモンと米をどんぶりによそって卵黄を乗せたやつ、マジでこの世で一番うまい。

 

2位。

冷凍か市販ソースのカルボナーラ

これには理由があるんです。お店で食べるカルボナーラも好きなんだけど、なんか濃厚すぎて半分でお腹いっぱいになっちゃう。その点、冷凍や市販ソースのカルボナーラは濃さがちょうどいい。一番おいしく食べられると思ってます。

 

3位。

自分で作ったスクランブルエッグ

これはね。自分で作ったってところがミソです。スクランブルエッグのオリジナルレシピ(?)があって、まず卵にマヨネーズをたっぷり入れて溶き卵を作る。マヨネーズを入れるとふわふわになるし、マヨネーズの味が追加されておいしいです。そして、フライパンにたっぷりバターを引いて溶き卵を流し入れ、炒める。これだけなんですけど、やっぱり自分の加減で作ったやつが一番おいしい。

 

4位

ウニ

ウニは好みが分かれると思いますが、かなり好きな寿司ネタです。サーモンの次に好き。ちょっと高くても頼んじゃうね。

 

5位

トロの刺身

さっきから寿司ネタばっかりやないかい!とお思いのみなさん。その通りでございます。こうやって書き出してみて気づいたんですが、私って肉より魚派かもしれませんね。トロも大好き。

 

6位

マックのポテト

みんな大好きマックのポテト。

おいしいですよね。絶対Lサイズ頼んじゃうもんね。

 

7位

チーズ

四角い4個入りのベビーチーズを毎日と言ってもいいほど食べてます。ローソンに売ってるペッパー入りのキャンディチーズもお気に入り。

 

8位

果物の柿です。シーズンになると毎日食べるくらい好きです。

 

9位

ピザ

ふわっとしてるタイプより、クリスピーなタイプのほうが好き。チーズがたっぷり乗ってるやつが好きです。

 

10位

クレープ

チョコバナナとか甘いクレープが大好きです。お気に入りのクレープ屋さんがあって、バナナも生クリームもたーっぷり入れてくれて皮ももちもち分厚くて最高です。

 

いかがでしたでしょうか?肉がランクインしてませんでしたが、焼肉とかも好きです。唐揚げとかファミチキとかも。あと天ぷらも好き。よければみんなの好きな食べ物も教えてくださいねー!それではまた!!

 

障害者手帳を交付されてから(今更)

お久しぶりですみなさん。

ブログのことをすっかり忘れておりました。申し訳ございません(誰も待ってないけど)。

 

診断書を受け取って手帳の申請をしたところで更新が止まっていましたが、無事障害者手帳を受け取ることができました。

2ヶ月前に。(遅)

受け取ったのは2023年の1/20。

等級は3級だった。

 

区役所まで行くと、手帳を受け取ると同時に何も言ってないのにバスの無料券をくれた。

私が住んでいる川崎市では、手帳を持っていると市内を走るすべての路線バスが無料なのだ。これはかなりありがたかった。

バイトの通勤は全てバスだし、精神科に行くにもバスだし、近くの大きな駅に行くのもバスなのでそれまで地味にバス代がかさんでいたのだ。

通勤の分はバイト先から交通費が出ていたものの全て無料になるのはかなり助かる。

私はバイト先に障害のカミングアウトも兼ねて交通費が不要になる旨を素直に申告したので交通費は出なくなったが無料なので全然痛くない。

回数制限などもなく券を運転手さんに見せるだけで乗り放題である。

これが一番助かっている。

 

次に、携帯代の障害者割引の手続きをした。

手帳を見せたら1300円くらい?割引になった。

大手三大キャリアではどこでも障害者割引をやっていて、割引率などはキャリアによって異なるので要チェックだ。

これも地味にありがたい。

一気に1000円以上も安くなる割引は他にはなかなかないのでだいぶうれしい。学割とかでもこんなに安くはなかったと思う。

 

他には各施設の入場料の割引等で利用した。

手帳を見せるのは少し緊張するが場所によっては半額くらい安くなるし、同伴者も同じ価格になる場合があるのでありがたい。

あとは身分証にもなるので扱いは学生証や免許証と同じ、いつも肌身離さず持ち歩いている。

 

こうして無事に(?)精神障害者として認められた私であったが、前述の割引等々以外は特に生活に変わりはなく過ごしている。

近況としては暖かくなってまた軽躁入りしたので出かけたり旅行の予定を立てたり結構元気に動き回っている。

障害者割引もフルに活用したいし。

躁状態の時って精一杯楽しみたくなるけど本当はゆっくり休んだ方がいいんだろうな。

でもやっぱり活動してしまう…楽しいから…。

 

障害者とは思えないほど元気だがどうせまた鬱になるしその感情の起伏が激しすぎるから障害者なのだな。(今更)

というわけで一旦手帳とかの話は終わりで、また何か思いついたら更新します!

ではまた!

 

 

 

 

 

 

精神障害の診断(発達障害もね!)

障害者手帳を申請することが決まってから約1ヶ月が経った2022/12/12、障害者手帳申請用の診断書を受け取りに行ってきた。

 

気になる診断名は、「双極性感情障害II型」と「広汎性発達障害」だった。

ちなみに広汎性発達障害とは、自閉症アスペルガー症候群などをひとまとめにした自閉スペクトラム障害のことである。多分。

ADHDの診断は降りず、自閉症の診断はついたのが個人的に意外だった。

しかし、やっぱり発達障害があることがここでようやくわかった。

今までずっとグレーゾーンだと思って生きてきたので、やっと診断が出てスッキリした気持ちもある。

コミュニケーションの苦手さ、社会生活を送ることの困難さ、今までのやりにくさにちゃんと理由があったことは素直によかった。

しかし、それとは別に障害があることを受け入れるのは大変かもしれないと思ったのでこれは後述する。

 

「生活能力の程度」欄は全て「おおむねできるが援助が必要」、「精神障害を認め、日常生活又は社会生活に一定の制限を受ける」とのことだった。

等級がどうなるかはわからないが、生活能力はおおむねあるとの判定にはまずまず納得である。

月に1、2回の通院、1回10分程度の会話で医者って患者のことをよく見てるんだなーと思った。当たり前かもしれないが。

精神障害発達障害は目に見えないので症状の出方や日常生活社会生活をどの程度送れているかで判断するしかなく、その分精神科医は他の医者より患者をよく観察する能力に長けているのかもしれない。

 

障害を受け入れるのが大変かもしれないということは先に述べたが、自分が自閉スペクトラム障害であるという事実をまだ噛み砕けていない。

知能検査WAISを受けた時、言語理解IQが120あるのに対して知覚統合IQが68しかなかった。

この凹凸の差は実に52もある。

この群指数の凸凹の差が15を超えると「発達障害の疑いあり」と判断されるらしいので、私の52という数値は相当だと言えるだろう。参考:https://shohgaisha.com/column/grown_up_detail?id=827

(2018年の記事なので情報古いですが…)

ちなみに、知覚統合が低いと、先の見通しを立てるのが苦手であったり、言外の意味を汲み取ること、暗黙の了解を理解することなどが苦手

であるなどという特性が現れやすく、その特性が自閉スペクトラム障害に当てはまることが多い。

しかしその時点では具体的な病名、発達障害であるという告知はされなかったので私はずっとグレーゾーンだと思い込んでいた。

WAISの結果はそれだけで発達障害の診断基準を満たすものではなくあくまでも参考にするだけではあるのだが、やっぱり私の結果はおかしかった。

グレーゾーンだと思っていた時もモヤモヤしていたが、発達障害だということがハッキリするとそれはそれで事実の重さをなかなか受け止めきれない。

双極性障害だと言われた時もそうだったが、障害ではない、病気が軽い場合はこれから治るかもしれないという希望がある。しかし、障害だとハッキリしてしまうと発達障害の場合治る可能性はない。

これはなかなかズッシリ来るものがある。

しかしもちろん先程も書いたように今までの生きづらさに説明がついた安堵感もある。

なかなか複雑な心境だ。

 

余談だが、父方のいとこが自閉症(たぶん)で、軽い知的障害もあると思われる。

なので急に親近感が湧いてきた。けど彼個人の連絡先は知らない。

以前も書いたが母方が精神疾患の家系で、父方のいとこが自閉症なので両方の遺伝子をまるっと引き継いでしまったのが私というわけだ。とほほ。

いとこは自閉症だと思われるが愛嬌がある人で、法事などで会った時もにこやかに挨拶してくれる。

私より2個ほど年上で障害者雇用で働いている。

いとこより私の方が根暗でコミュニケーションが苦手なように思えるので、私も自閉だとわかってなるほどと思ったが自閉なのは彼も一緒なのに不思議だ。自閉症ではないのだろうか。違ったら失礼だ、ごめんなさい。

 

21歳でようやく発達障害だと判明し、もっと小さい頃にわかっていれば…と悔やむ気持ちもあるが過去ばかり見ていても仕方がない。障害を受容し自分の特性を理解して障害と共存していく道が始まる。

来年から障害者雇用での就活を始めようかと考えているし、障害年金が受け取れるのかどうかについても調べないといけない。

まだまだ道は始まったばかりだ。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。次は多分来年書くかなと思うので一足先に良いお年を!またどこかで。

 

 

近況と障害と健常

お久しぶりです。中島です。

最近ブログが何も更新してなくてもチョロチョロ見られるようになっててなんとなく嬉しい。

検索から来てるのかTwitterからなのかはパソコンから見ないといけないのでわかんないけど。

 

さて、本題。

主治医から双極性障害だと言われたわけですが、やっぱり受けられる支援は受けるのが良いかと思い、自立支援を受けて障害者手帳を申請することにした。

ちなみに自立支援とは、精神科の医療費が通常の3割負担から1割負担になる制度です。多分これで合ってるはず。間違ってたら教えてください。

障害者手帳は正式には精神障害者保健福祉手帳と言い、精神障害者であることを公的に証明するものだ。

自立支援はもう精神科通院5年目なのに今まで受けてなかったのが逆に不思議だけど、手帳は自分が申請できるレベルにいるのかわからなくて主治医に聞いたらアッサリと取れるとの返答だった。

主治医曰く、上がっている時は一番下の等級になるらしいのだが、それって2級以上になる可能性もあるということだよな。

自分は手帳取れないかもと思っていたので意外だった。

役所に行って書類をもらってきて通っている精神科に送り、今は診断書を書いてもらっているところだ。

診断書を書くのに1ヶ月半ほどかかると言われ驚きだった。

書類を役所に提出してからの審査にも更に1ヶ月かかる。

なので手帳が手元に来るのは完全に来年になってしまう。

別に急いではいないのでのんびり待っている。

正式な形での診断書をもらうのは何気に初めてなので、少しドキドキする。

主治医はずっと私について「発達特性がある」とぼかしたような表現をしているのだが、今回正式に発達障害の診断は降りるのかも気になるところだ。

手帳が無事に取れたら動物園や水族館に行ったり映画を観たりしよう。割引があるので。

なんとなくそれも楽しみにしている自分がいる。

今までずっと、自立支援も手帳も見て見ぬふりをしていた。

しかし正式な病名を聞いてから、病気と向き合わなければ前には進めないと思った。

病気であることを認めて受けられる支援は受けることが、病気と向き合うということの初めの一歩だと思った。

漫然と通院と服薬を続けているだけではダメだと感じた。

これから少しずつ受け入れて病気と共存していく道程が始まるのだ。

 

手帳が取れると聞いてから、「障害」とは、「健常」とはということについてずっと考えている。

私は五体満足だし、目も見えて耳も聞こえて自分の足で歩くことができる。

でも、障害者なのだ。

フルタイムで働くことが難しかったり、体調を崩しやすかったり、お風呂に入ったりご飯を食べたりそういう基本的な生活が難しい時がある。

ごく当たり前の話ではあるが、やっぱり健康な人とは違うから障害なんだと思う。

でも、どうなったら健康、健常と言えるのだろう。

フルタイムで働けたらだろうか。

体調が安定したらだろうか。

自立できたらだろうか。

通院と服薬が不要になったらだろうか。

障害と健常はキッパリ分けられるわけではなく地続きのスペクトラムなんだと思う。

だから、一概にこうなったら健常とは言い切れないのかもしれない。

前の記事でも述べたが、双極性障害は基本的に症状が安定しても定期的な通院と服薬が必要になる。

症状がないからといって通院と服薬をやめてしまったら、再発リスクが高まり躁と鬱のスパンが短くなるラピッドサイクラー化のリスクも高まる。

そのリスクを軽減し症状を安定させるためにも、障害受容がとても大事になる。

障害を受け入れて上手く付き合いながら生きていかなければならない。

まだまだ上手くいかないことだらけではあるが、少しずつ自分のペースでやっていこう。

診断書を受け取ったらとりあえずまたブログを書くかもしれない。

そして手帳が来たらまた更新します。

ここまで読んで下さった方ありがとうございました。また会いましょう。

 

【セトリ・MCネタバレあり】限界メンヘラが米津玄師のライブに行ったら大号泣した話

米津玄師の久しぶりのライブツアーの発表があり、私はM八七シングル封入一次先行で見事当選した。

名古屋公演が。

ちなみに私は神奈川在住だ。

しかし私は名古屋に遠征するのはこれを含めると3回目になるので、まずは当たって安心した。

1人で行くのも3回目だし、宿と新幹線の予約も手慣れたものだ。

個人的な話になるが、たまたま嫌なことが重なったり、自分が抱える精神障害について考えたりする機会があり、結構ナーバスな状態になっていた。

もうどうでもいいや、と投げ出すような気持ちもあり、今回のライブが終わったら死んでやろうかとさえ思った。

そして迎えたライブ当日。

体調に不安があったためヘルプマークを携えて出かけた。

グッズは事前に東京で買っておいたのでのんびりと向かい昼頃名古屋到着。

適当に時間を潰し1時間くらい前に会場に着くとかなり人がいた。当たり前だ。

チケットの管理番号が早く、入場したらまさかのアリーナ席だった。

そして、ご本人様登場。

POP SONGを歌うご本人のあまりの迫力に最初は呆気にとられたが、2曲、3曲と進んでいくたびに、涙が浮かんできた。

学校に行きたくない時、行けなかった時。

うまくいかない時。

死にたかった時。

いつも聴いていたのは米津玄師の音楽だった。

今までのその全てが一気に蘇ってきて、ここでもうすでにかなり感極まっていた。

そして、カナリヤが流れた。

いいよ、あなただからいいよ、と優しく包み込んでくれるこの曲は、普段CD音源を聴いているだけでも号泣必至で、私の中で米津玄師好きな曲ランキング1位2位を争う曲だ。

その次はLemon。

もう涙が溜まって溢れそうだったがなんとか持ち堪えた。

最初はおちゃらけたMCで場を和ませた米津玄師だったが、途中のMCでこんな話があった。

コロナで客が声を出せないライブを行うことを余儀なくされ、窮屈な思いをしているかもしれない。

でも、声が出せても出せなくてもいい。

ライブのノリについていけなくても盛り上がれなくてもいい。劣等感を感じなくてもいい。

嫌なことがたくさんあって明日や明後日やりたくないことをやらないといけない、でも今夜くらいは一人一人が美しい夜を過ごせるようにしたい。

表現の違いや曖昧な部分はあるが、概ねこのようなことを言っていたと思う。

そして、次の曲はひまわりだった。

そこで、ついに私の涙腺が決壊してしまった。

みんなとワイワイ楽しめなくても、ついていけなくてもいい。一人一人そのままでいい。

クソみたいな世の中人生だけど、今夜くらいは美しくあれますように。

彼のそんな寛容さ、そして祈り、そんなところに私は惹かれたんだと強く感じて、なんだか自分が肯定されたような気がして、もう我慢できなかった。

みんなで声を出して盛り上がろう。みんなに合わせて手拍子しよう。

ライブはどうしてもそういう雰囲気になりがちだが、私はどうもそういうノリが苦手で居心地悪く感じることが多い。

でも、それでいい、無理に合わせることはない、一人一人が何かを感じられればそれでいい。

そういうメッセージを感じて、本当に泣いてしまった。

そこからはテンションが高い曲が続き周りの客が盛り上がる中1人だけ泣きじゃくっていた。

本当に涙が止まらなかった。

私は、ついついないものねだりをしてあるがままの幸せに気付いていなかったのかもしれない。

色々辛いこともあるけれど、私は「幸せ」なのかもしれない。

これまでも、そしてこれからも。

ここまで優しく肯定してくれたと感じたのは初めてで、なんだか魂レベルで報われたような気がした。

焦らなくていい、自分のペースで生きていこう、頑張ろうと自然に思えた。

これからも辛いこと嫌なことはたくさんあるしどうにもならないことも多いけど、せめて安らかな夢で眠れますように。

自分は生きていてもいいんだ、と思えた。

もう少しだけ、生きてみようかな。

そんな気になった。

彼の曲は、「俺が幸せにしてやる」「嫌なことなんて蹴散らしてやる」みたいな押し付けがましいガッツはない。

嫌なこと辛いことも丸ごと受け止める、そして何より、「〜できますように」とある意味突き放すような言葉で表現する。

自分がこうしてあげる、ではなく、君も自分もこういう風にできたらいいよね、でも無理なこともあるし、それも受け入れてなお安らかで美しくいられますように、という優しい祈り。

彼の曲にはそんな祈りが根底にあると思っている。

ある意味他力本願的だからこそ、自分がこうする、と断言するよりも誠実なのだと思う。

「君が望むならそれは強く応えてくれるのだ」

私が望むなら、強く応えてくれるものはある。それが神か仏か何かはわからないが、とにかく無駄ではない。

「痛みを知るただ1人であれ」

痛みを知っているからこそ、見える世界がある。

誰とも共有できない、私1人だけの痛み。人はどこまでも1人。

だからこそ、誰かの痛みに寄り添える。

米津玄師と同じ時代を生きていてよかった。

あなたの歌声が私を受け止めてくれる限り、少なくともどこかに救いはあるでしょう。

これからも聴き続けます。ありがとう。

涙でメイクが落ち、マスクもビチャビチャになった酷い顔で、せっかくのグッズのタオルを濡らしながら、私はそう思いました。

みんなも米津玄師を聴こうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

双極性障害でした

以前、双極性障害なのでは?という記事を書いた。↓

https://lemonnakajima.hatenablog.com/entry/2022/08/17/220443

先日の精神科での診察で思い切って主治医に聞いてみたところ、双極性障害であるとのことだった。

わかった直後は胸のつかえが取れたようでスッキリしたが、時間が経つにつれその病名が重くのしかかってくるような気がする。

病名が適応障害だった頃は、いつか治る日が来ると思っていたし、変な話軽い気持ちで治療にあたっていた。

しかし、双極性障害は、基本完治することはない。

症状が寛解することはあっても、その後の再発リスクが非常に高い。

症状が良くなっても、通院と服薬は基本続けなければならない。

何を今更、という感じではあるが、自分は病人なのだという自覚が急に生まれた。

適応障害から双極性障害に変わったことで、病気としてのランクが上がった、といえば語弊があるかもしれないが、そんな気がした。

精神病のランクがあるとして、適応障害がDランクだとすれば一気にBかAくらいまで跳ねあがったような感じだ。ちなみに統合失調症はS。

別に適応障害が軽いからつらくないとかそういう意味ではないので悪しからず。

いつから病名が変わっていたのかは定かではないが、とにかく双極性障害であることがわかった。

本を読んだりして調べてみると、双極性障害での抑うつ状態は他のうつ病うつ状態とは異なるらしい。

統合失調症の陽性症状のような、幻覚や幻聴、妄想が現れることがあるようだ。

私も発症したての高校生の時に、ひどいうつで「お前なんかいらないから死ね」「なんで死なないの?」などという悪口が声として聞こえてくる幻聴、またみんながそのように言っていると信じて疑わない妄想があった。

思えばその時から普通のうつ状態とは異なっていたのだ。

そして躁転すると、色々なアイデアが次々と湧く観念奔逸の症状が現れ、またうつになった時に躁の時のアイデアが重くのしかかってくる。とても現実的ではないものも躁の時はできると信じて疑わない。うつになると普通に気力がないのでやりたいこともできず、中途半端に手をつけたモノが残る。それも余計に気が滅入る。

躁の自分もうつの自分も冷静な状態ではない。

本来の自分がどうであったかもう自分でもわからない。

アクセルとブレーキがぶっ壊れる病気で暴走するかエンジンがかからず動けないかのどちらかしかない。

今まではなんとなく通院して薬を飲んでいればいいだろうと思っていたが、しっかり病気と向き合っていかなければならない。

場合によっては障害者手帳を取ったり、行政の支援が必要かもしれない。

これからの就労についても考えなければならないし、主治医と相談しながら進めよう。

これからの人生どうなるのか不安が大きいが、ひとつずつ着実に進んでいきたい。

最後まで読んでいただきありがとうございました。ではまた。

「読書歴」って何?

読書アカウントなどで、「読書歴」なるものを自称する人がおりますね。

「読書歴20年」などと書いたり、逆に「3ヶ月の新参者です」などと言ったりする。

私はこれに違和感を抱いたので、少し掘り下げてみようと思う。

みなさんは読書をしたことがあるだろうか。

全くしたことがないという人はおそらくいないのではないだろうか。

何も、芥川賞受賞作を毎年チェックしたり、昭和の文豪の作品を全て読みました、というのだけが読書ではない。

絵本だって立派な読書だと思うし、それに学校に行っていたら教科書を読むだろう。

国語の教科書なんかガッツリ読書ではないか。

しかしこう言うと、「いえいえ読書というのは単に読むだけではなく好き好んで進んで読むことです」などと言ってくる人がいるかもしれない。

ふーん。

なるほどね。

でも、「読書」って、書を読む、って書きますでしょ、別に好きで読んでいるかどうかのニュアンスないじゃない。

読んでいたらなんでも読書ですよ。

じゃあ、好きで読んでいる歴のことを読書歴というのか?

先に述べたように、読書は誰でもしたことがある。

なので、単なる本を読んだことがあるだけの歴なら誰でも自称できる。

小学校に入ったら誰でも国語の教科書を読むので、誰でもそこからの歴を自称することができる。

好きで読んでいる歴を言うなら、「私は中学生の頃から好んで読んでいます」「私は少し遅くて成人してからです」などと言えるだろう。

しかし、だ。

少し前に述べたので忘れた人はお手数ですが遡っていただきたいが、絵本だって立派な読書だと思う。

子供の頃に絵本を読んだことがない人はほとんどいないと思うし、私なんか物心つく前から絵本を読んで喜んでいたと聞く。

もちろん幼児の頃だけでなく小学生の頃なんかは特に本の虫で、今でもわからないことがあるとすぐに本で調べるクセがある。

こういう場合はどうするのじゃ。

もちろん、「物心つく前から読んでいます」と言えばなんだか格好いい気もするし読書アカウントの方々も「参りました」と言うかもしれない。

しかし、それは歴と言えるのだろうか。

例えば、アイドルのファン歴などが特にわかりやすいと思うが、アイドルを物心つく前から好きであるという人はあまりいないと思う。

親の影響などで幼い頃から好きです、という人はあるが、アイドルのファン活動においてはCDを買ったりファンクラブに入る必要がある。自主的にそういった活動ができるのはまぁせいぜい小学校高学年からがいいとこであろう。

もちろんそういった活動は必須ではないのだけれども、CDも買わずファンクラブにも入らない人がファンです、と名乗るのはいささか違和感がある。

それにアイドルなどはある程度成長してから好きになる人が多いであろう。

しかし、本は文字を読むことができれば何歳でも読める。

もちろん自主的に自分のお金で本を買えるのはある程度成長してからだが、本は好きであれば気軽に読めて特にファンクラブなどもない。作家個人のものはあるかもしれないが、本は手広く読む人も多いので特に入っている必要はない。

それに、誰でも読書をしたことはあるのにアイドルと同じように明確に好きになった瞬間があるものだろうか。

突然稲妻に打たれたかのように読書が急に好きになり、次の瞬間から図書館に赴き借りられる上限まで本を借りてくる、そんな人は少数派なのではないのか。

いたとしても急激にハマるものはたいてい冷めるのも早そうだ。

ここまでつらつらと書いてきたが要するに言いたいのは読書歴というのはかなり曖昧なものではないのか、ということだ。

たとえば、誰でも物心つく前から食事をしたことがあるし、食べるのが好きな人だっていつから好きかは答えられないから「食事歴」とは言わないだろう。

誰でも生まれてすぐ寝るから「睡眠歴」というのもない。

私には「読書歴」はそれらと同じくらい違和感がある。

特定の作家のファン歴なら、アイドルと同じなので自称しやすいが単なる読書の歴はいつからなのか判然としない。

話が逸れるが音楽がいつから好きか、というのも同じだと思う。

だって音楽は誰でも聴いたことがあるから。

特定の人間やキャラを「推している」感覚を読書全体に持ち込むのはかなり危ういと思う。

読書を趣味のひとつに掲げる人の中には年間何冊読んだ、毎日の読書に割く時間などを吹聴してまわって読書に対するハードルをやたら上げる人がいるが、私は読書はもっとラクでいいと思う。

小難しいビジネス書や自己啓発本を読む必要はない。

なんならマンガでも読書記録に含めてしまえ。

年間1冊読んでいたら立派だ。

毎日何時間読むなどノルマを自分に課さなくても読みたい時に読みたいだけ読めばよい。

年間何冊だとか毎日何時間などと言う人がいるせいで読書に難しいイメージを持っている人が多いと思う。

もっと気軽に読みたいものを読んで楽しめばよい。

それでこそ読書だとさえ思う。

なんなら、この記事を最後まで読めたらもう読書ができる素地はある。

読んだ文章が例え拙くても文字が読めれば読書はできる。

あと、単に読むだけでなく読んだ本から知識や考え方や何かしらを学んで身につけないと、と言う人もいるが、読んだだけで立派な読書だ。

何も身に付かなくても心に響かなくても読書は読書だ。

本から学ぶ必要はない。

読書をしていることで自分がなにか文化的で賢い人間であるかのように勘違いして読書をアクセサリーにしている人が多いが、そんな奴は全くもって読書家ではない。

たった今、「読書歴」でTwitter検索をしたらなにやら怪しげなビジネスアカウントが「読書歴15年」などと自称しそれに異を唱える人が複数いて安心した。

みなさんも、肩肘張らずに読みたい本やマンガを好きなだけ読んでほしい。

長くなったがここまで読んでいただきありがとうございました。

良い読書ライフを!