読書アカウントなどで、「読書歴」なるものを自称する人がおりますね。
「読書歴20年」などと書いたり、逆に「3ヶ月の新参者です」などと言ったりする。
私はこれに違和感を抱いたので、少し掘り下げてみようと思う。
みなさんは読書をしたことがあるだろうか。
全くしたことがないという人はおそらくいないのではないだろうか。
何も、芥川賞受賞作を毎年チェックしたり、昭和の文豪の作品を全て読みました、というのだけが読書ではない。
絵本だって立派な読書だと思うし、それに学校に行っていたら教科書を読むだろう。
国語の教科書なんかガッツリ読書ではないか。
しかしこう言うと、「いえいえ読書というのは単に読むだけではなく好き好んで進んで読むことです」などと言ってくる人がいるかもしれない。
ふーん。
なるほどね。
でも、「読書」って、書を読む、って書きますでしょ、別に好きで読んでいるかどうかのニュアンスないじゃない。
読んでいたらなんでも読書ですよ。
じゃあ、好きで読んでいる歴のことを読書歴というのか?
先に述べたように、読書は誰でもしたことがある。
なので、単なる本を読んだことがあるだけの歴なら誰でも自称できる。
小学校に入ったら誰でも国語の教科書を読むので、誰でもそこからの歴を自称することができる。
好きで読んでいる歴を言うなら、「私は中学生の頃から好んで読んでいます」「私は少し遅くて成人してからです」などと言えるだろう。
しかし、だ。
少し前に述べたので忘れた人はお手数ですが遡っていただきたいが、絵本だって立派な読書だと思う。
子供の頃に絵本を読んだことがない人はほとんどいないと思うし、私なんか物心つく前から絵本を読んで喜んでいたと聞く。
もちろん幼児の頃だけでなく小学生の頃なんかは特に本の虫で、今でもわからないことがあるとすぐに本で調べるクセがある。
こういう場合はどうするのじゃ。
もちろん、「物心つく前から読んでいます」と言えばなんだか格好いい気もするし読書アカウントの方々も「参りました」と言うかもしれない。
しかし、それは歴と言えるのだろうか。
例えば、アイドルのファン歴などが特にわかりやすいと思うが、アイドルを物心つく前から好きであるという人はあまりいないと思う。
親の影響などで幼い頃から好きです、という人はあるが、アイドルのファン活動においてはCDを買ったりファンクラブに入る必要がある。自主的にそういった活動ができるのはまぁせいぜい小学校高学年からがいいとこであろう。
もちろんそういった活動は必須ではないのだけれども、CDも買わずファンクラブにも入らない人がファンです、と名乗るのはいささか違和感がある。
それにアイドルなどはある程度成長してから好きになる人が多いであろう。
しかし、本は文字を読むことができれば何歳でも読める。
もちろん自主的に自分のお金で本を買えるのはある程度成長してからだが、本は好きであれば気軽に読めて特にファンクラブなどもない。作家個人のものはあるかもしれないが、本は手広く読む人も多いので特に入っている必要はない。
それに、誰でも読書をしたことはあるのにアイドルと同じように明確に好きになった瞬間があるものだろうか。
突然稲妻に打たれたかのように読書が急に好きになり、次の瞬間から図書館に赴き借りられる上限まで本を借りてくる、そんな人は少数派なのではないのか。
いたとしても急激にハマるものはたいてい冷めるのも早そうだ。
ここまでつらつらと書いてきたが要するに言いたいのは読書歴というのはかなり曖昧なものではないのか、ということだ。
たとえば、誰でも物心つく前から食事をしたことがあるし、食べるのが好きな人だっていつから好きかは答えられないから「食事歴」とは言わないだろう。
誰でも生まれてすぐ寝るから「睡眠歴」というのもない。
私には「読書歴」はそれらと同じくらい違和感がある。
特定の作家のファン歴なら、アイドルと同じなので自称しやすいが単なる読書の歴はいつからなのか判然としない。
話が逸れるが音楽がいつから好きか、というのも同じだと思う。
だって音楽は誰でも聴いたことがあるから。
特定の人間やキャラを「推している」感覚を読書全体に持ち込むのはかなり危ういと思う。
読書を趣味のひとつに掲げる人の中には年間何冊読んだ、毎日の読書に割く時間などを吹聴してまわって読書に対するハードルをやたら上げる人がいるが、私は読書はもっとラクでいいと思う。
小難しいビジネス書や自己啓発本を読む必要はない。
なんならマンガでも読書記録に含めてしまえ。
年間1冊読んでいたら立派だ。
毎日何時間読むなどノルマを自分に課さなくても読みたい時に読みたいだけ読めばよい。
年間何冊だとか毎日何時間などと言う人がいるせいで読書に難しいイメージを持っている人が多いと思う。
もっと気軽に読みたいものを読んで楽しめばよい。
それでこそ読書だとさえ思う。
なんなら、この記事を最後まで読めたらもう読書ができる素地はある。
読んだ文章が例え拙くても文字が読めれば読書はできる。
あと、単に読むだけでなく読んだ本から知識や考え方や何かしらを学んで身につけないと、と言う人もいるが、読んだだけで立派な読書だ。
何も身に付かなくても心に響かなくても読書は読書だ。
本から学ぶ必要はない。
読書をしていることで自分がなにか文化的で賢い人間であるかのように勘違いして読書をアクセサリーにしている人が多いが、そんな奴は全くもって読書家ではない。
たった今、「読書歴」でTwitter検索をしたらなにやら怪しげなビジネスアカウントが「読書歴15年」などと自称しそれに異を唱える人が複数いて安心した。
みなさんも、肩肘張らずに読みたい本やマンガを好きなだけ読んでほしい。
長くなったがここまで読んでいただきありがとうございました。
良い読書ライフを!