2022年。
私はまともに生きるのをやめた。
いや、意識してやめた訳ではない。
自分の心地いい過ごし方を模索していたら、たまたま、まともではなかったと言った方が正しいかもしれない。
まず経緯から話そう。
フォロワーはご存知かもしれないが、私は高校2年生の時に適応障害になり、高校を1年留年した。そして今も治療中である。
そしてそして、発達特性があることもわかった。発達障害の診断は降りなかったけども。
私は中学の頃は勉強がよくできた。
数学はからっきしダメだったものの、国語英語は偏差値70、通知表には5が並んだ。
そして、私には難しいと言われた高校を目指し、見事合格。順風満帆であった。
当時の私は、良い意味でも悪い意味でも真面目だった。自分は勉強ができるし、このまま高校でも良い成績を取り良い大学に行ってそれなりのところに就職するんだ。そう信じて疑わなかった。そのためには、多少無理しても頑張らなければならない。今思うと、その時点でもう無理が生じていたのかもしれない。
そんなこともあって高校でうつ状態になり、高校を留年した。
だが、まだここでは諦めない。
大学進学を目指した。
自分自身の経験から福祉を志した。
だが勉強には身が入らず、大学受験はほぼノー勉で臨んだ。
それでも一応偏差値50の福祉系大学に合格し、進んだ。
しかし。
意外とキツキツな時間割、山のような課題、オンラインと対面授業の同時並行。
私はすぐに体調を崩し休みがちで、不注意特性のせいか課題は提出できず、あれよあれよと言う間に単位はいくつもお亡くなりになった。
私は疲れ果てて、大学を休む決意をした。
そして休学手続きをし、今は休学中である。
週3でアルバイトをし、自由気ままな生活を送っている。
大学は、辞めようと思っている。
この間、中学の時に通っていた塾で同じクラスだったメンバーと、そこで教えてもらっていた当時大学生だった講師で久しぶりに飲みがあった。
昔話に花が咲き、近況報告をし合う中で、私が大学を辞めようと思っているという話をしたら、その大学生講師が、大学は卒業した方がいい、と言ってきた。
確かに、彼の言うことは正しい。そりゃあ学校は卒業するに越したことはない。私だって出来るならしている。
しかし。
と私は思った。
あれからずっとモヤモヤした気持ちを抱え考え込んでいたが、やっと答えのようなものが出た。
私は、まともに生きられないのだ。
それこそ中学の時に思い描いていたような道は辿れないのだ。
自分の心地いい道。心地いい過ごし方。心地いいペースで生きるには、どうしても多少まともからは外れざるを得ない。
今はうつ状態の治療中だし、もし治ったらもしかしたらまたまともに生きられるかもしれない。
しかし、今はまだ出来ない。
自分の心地いいペースで生きたい。
甘えや怠けだと思われるかもしれないが、もうそれでもいい。
今自分の一番心地いいペースで過ごせていて、実際体調も精神面もここ数年で一番調子が良い。
無理に世間の当たり前に自分を当てはめずに、その時心地よいと感じるペースで生きられるように都度調整していくことが大事だと感じる。
もちろん、私がこのように生きるためには周りの人たちの支えが不可欠だ。
感謝を絶やさずにいたい。
しかし、こんな悠長なことを言っていられるのも長くはないかもしれない。
もしかしたらこの先まともに生きなかった代償が来るかもしれない。
でも、その時はその時だ。
その時また考えよう。
人はいつか死ぬし。
ハタチそこそこの浅い考えなのでこれから変わる可能性は多分にある。
やっぱりちゃんとしとけばよかったなーって思うかもしれない。
しかし今は非常に刹那的に生きているので、今が楽しければそれでよい。
今まで未来のことを考えすぎてしんどくなっていたのだから、現在のことだけ考えていればよい。
確かに言えるのは、今が楽しいということだ。
これから先も楽しく生きられたらいいなと思う。
以上が大学中退高卒フリーターになる予定の限界大学生の世迷言でした。
こうはなりたくないなぁと反面教師にするのもヨシだが、そうやって生きるのもあるのかと思っていただければ幸いである。では、また今度。